卒研生寄稿 「浩洋会への入会の足がかり」

目黒 博(S54年卒)

 学生時代に想いを馳せると、つい昨日のことのように思えることがあります。様々な思い出が走馬灯のように駆け巡る中で、何故か、或る事で時間が止まることがあります。和田さんの大変なご努力により、浩洋会のホームページが開かれましたが、コンテンツを充実させ会員相互の親睦を深めるには、皆様の声を出来るだけ多く集めることが必要であります。皆様とともに、ゼミの思い出で、時間が止まる或る事をご披露できればすばらしいことであると思い、私も、実に拙い文章ではありますが、恥を忍んで参加させていただきます。

 今から28年前、理科大数学科2回生の私は、数学研究科目(俗に、‘数研’)の選択で悩んでおりました。悩みの一番目は、出来損ないでも仲間外れにしない先生は誰か、二番目は、女性に人気の高い先生は誰か、そして三番目は、将来出世する先生は誰かと言う、かなり、俗っぽい悩みでした。顔の広い(?)私は、様々な諸先輩から情報を入手して、分析しました。そして、個性豊かで魅力的な先生方の中から、宮原靖先生の門を叩く決意をしたのでした。  ところが、宮原先生は女性だけではなく男性にも人気があり、当時は、宮原研に入るのは、理科大数学科に入るより難しいと言われておりました。当然、落ちこぼれの私には、正攻法では当然無理でありました。そこで、一計を案じた次第です。当時は、年に一度、数学科ゼミ対抗ソフトボール大会が、野田グラウンドで開催されており、宮原先生はかなりご衷心であったことに乗じることにしたわけです。
 ある日の夕暮れ時、日本酒の好きな先生に、顔と名前を売り込もうと、ちっぽけな勇気を搾り出して、一升瓶片手に先生の研究室のドアをノックしました。先生は、当然のごとく、怪訝な顔で迎えてくれました。数研に入れていただきたいと直談判したわけです。当時は、数研に入る制度としては、公募制を採っておりました。先生から見れば、学生からの競争入札制となります。簡単に言えば、宮原先生のお気に入りの学生を一定数採用するわけです。当時の先生の御眼鏡は、当然、解析学が良く出来て真面目であること(?)、美人であること(?)、そして、ソフトボールが得意で酒が飲めて楽しいこと、であったと拝察しております。特に、最後の御眼鏡が最も信憑性が高く思っております。失礼ですが・・・。
私の、小学生時代のソフトボールへの取り組み、中学生時代の野球戦績等々をアピールしました。さらに、先生を敬慕している気持ち、そして、数研に入った暁には学問に精を出す所存、最後には哀願調に頼み込みました。 先生は、私の熱意に絆されたのか、次第に心を開かれました。「考えてみるよ。」と仰っていただきました。
 数日後、宮原研に内定をいただいたときは、友人と大いに祝杯をあげました。これで、私の青春時代に新たな光明が差したのを感じたのでした。入学以来、片田舎から大東京に出て来て不安を感じ、さらには毎日の授業に無味乾燥な思いの日々でありました。麻雀、パチンコ、バイトに明け暮れ、惰性の渦に押し流される日々は、堕落した青春そのものだったのです。
 こうして、浩洋会に入会する足がかりを、私は掴んだのです。

平成17年11月

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